約 174,950 件
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/305.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 蔡和(サイカ) 蔡中(サイチュウ) 蔡瑁(サイボウ) 蔡和 (サイカ) [部分編集] (?~?)蔡瑁の甥。赤壁の戦いで呉に偽りの降伏をして内情を探ろうとするが周瑜に見抜かれる。開戦直前に呉軍の士気を高めるために処刑された。 三國志IX 統率 43 武力 50 知力 3 政治 34 三國志11 統率 39 武力 50 知力 1 政治 26 魅力 45 水軍A 騎将張繍の野望 +劉表軍→張繍軍 ゆかりん萌えの罪袋。ウザキャラ。毎回のように張允に殺されそうになる。 上へ 蔡中 (サイチュウ) [部分編集] (?~?)蔡瑁の甥。蔡和と共に呉へのスパイとして潜入するが、逆に周瑜に利用された。蔡和と同じく赤壁の戦いが開戦する時に処刑される。 名前は「蔡仲」とも。 三國志Ⅸ 統率 45 武力 53 知力 3 政治 24 三國志11 統率 40 武力 54 知力 2 政治 22 魅力 43 操舵/水軍S 騎将張繍の野望 +劉表軍→張繍軍 ロリコンな上にウザキャラという救いようの無いキャラ。例によって張允が殺したがっている。 上へ 蔡瑁 (サイボウ) [部分編集] (?~?)劉表の妻の弟。演義では劉綜を跡継ぎにするために姉と共に、劉琦を跡継ぎに指名する劉備を討とうとするが失敗する。 曹操軍に降伏後、対呉に向けて水軍都督に命じられるが周瑜の離間策にかかり、甥の張允と共に曹操に斬られる。結果、水上での戦いが苦手な曹操軍は大敗することになる。 正史では従事中郎・司馬を経て、長水校尉を歴任した。 三國志IX 統率 75 武力 67 知力 76 政治 77 三國志11 統率 77 武力 70 知力 77 政治 72 魅力 62 操舵/水軍S 騎将張繍の野望 +劉表軍武将→張繍軍武将。キャラブレイクなし いたって常識人……ではあるのだが、自重しない発言を繰り返す甥の蔡和・蔡中のコンビのフォローに回ったり、隙あらばその二人を殺そうとする張允にブレーキをかけたりと気苦労が絶えない。 上へ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sfc_sangokushi/pages/13.html
人口増加率 1月に増加する。直前の人口の3%~7%がランダムで増加する。 人口は統治国でも空白地でも増加する。民忠などの数値の影響もなく完全にランダム。 税率 実は厳密に率を上げれば比例して増えるわけではない。 税率0~39まではその率通りに増えるが、40では50扱いに、以降41~47では40よりも少しずつ減少し、48では57.6%扱いになる。 内政 開発 資金×実行者の政治の合計が9000ごとに1上昇する。 資金100を投じた場合、 実行者の政治の合計が90なら1上昇 実行者の政治の合計が180なら2上昇 実行者の政治の合計が270なら3上昇 長期実行した場合、 1、2ヶ月目 通常上昇 3、4ヶ月目 通常より+1上昇 5、6ヶ月目 通常より+2上昇 ただし、通常上昇値が0の場合は3~6ヶ月目も上昇しない。 長期実行した場合、資金は各月に平均して配分される。 つまり、政治100で6ヶ月実行する場合、資金540で+1上昇するが、539の場合は上昇は0となる。 耕作 30 治水 50 資金×実行者の政治の合計が9000ごとに1上昇する。 資金100を投じた場合、 実行者の政治の合計が90なら1上昇 実行者の政治の合計が180なら2上昇 実行者の政治の合計が270なら3上昇 長期実行した場合、 1 2ヶ月目 通常より+2上昇 3ヶ月目 通常より+3上昇 4ヶ月目 通常より+4上昇 5ヶ月目 通常より+5上昇 6ヶ月目 通常より+6上昇 ただし、通常上昇値が0の場合は3~6ヶ月目も上昇しない。 長期実行した場合、資金は各月に平均して配分される。 灌漑 開発値が低いほど上昇率は高い。 政治力が高く、期間が長くなると上昇率も上がるが、詳しい相関関係は不明。 商業 支出 君主 金・兵糧とも0 太守 支出には関係なし。元の身分に依存する 武官・文官 金50 兵糧200 将軍・軍師 金150 兵糧500 兵士100人あたり 金1 米10
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1107.html
三国志後期最強を争う猛将。無名の割に能力値が高くて目に付いた方もいるのではないだろうか 騎兵を率いた彼をまともに相手にできるのは陸遜や鄧艾、姜維くらいなものだろう 特技の急襲が若干物足りなく感じるが、そこは副将で補おう。騎兵と急襲は相性自体は一番良い まず間違いなく面識はないであろう趙雲が親愛武将に設定されている謎 いや例えられたってのはわかるけど -- (名無しさん) 2010-03-19 18 56 43 彼→趙雲は憧れって事でわからなくもないが、趙雲死んだのは彼が数えで8歳の時。逆は無いなw -- (名無しさん) 2010-03-19 19 57 59 『超・三國志』の中で、両者が時代を超えた共闘をしていたのが由来でしょうか。 -- (名無しさん) 2010-11-04 22 56 19 演義110回にて、「趙雲の再来」となっているからというのが 一番大きいかと。ぶっちゃけ鄧艾隊を無双で蹴散らしている。 -- (名無しさん) 2010-11-08 01 20 25 三国志後半の武将だが、236年に15歳から登場するので後期シナリオではそれなりに活躍が期待できる。 騎兵と弩兵の適性が優秀で特技が急襲なので、趙雲というより夏侯淵の再来といった感じの運用になるだろう。 -- (名無しさん) 2011-04-09 20 01 48 親愛が趙雲だけで登場時は功績もない 曹爽などと義兄弟にしてみては?彼は能力はアレだが、親愛はまあまあ優秀 功績値もある程度は貯まってるだろうから兵力補充にもなるでしょう。その際は彼に連戦などを -- (名無しさん) 2011-04-09 20 40 18 騎兵Sだが騎兵で殴り合うには統率に不安が残るので、能力研究で強化するか統率が高い奴と義兄弟にした方がいいだろう。 あと列伝見る限り死因は不自然死だと思うのだが。 設定ミス? -- (名無しさん) 2011-04-29 16 53 16 史実シナリオだと、素の武力が登場する頃には全武将中でほぼトップ。 しかも騎兵Sなので、廟や能力研究で疾走を付けると凄まじいまでの強さを発揮する。 仮想シナリオでも、五虎将や呂布以外なら大概通用するので一考の価値は大いにある。 -- (名無しさん) 2011-06-28 18 40 17 生年・没年ともにWikipediaのものと違ってるけど、演技を元にするとこの年になるのかな -- (名無しさん) 2011-11-24 21 44 27 単なる設定ミス、もしくは調査不足じゃないかね……よく調べると設定がおかしいと思える武将は彼だけじゃない。 -- (名無しさん) 2011-11-25 03 03 17 死因もおかしいな、三族皆殺しにされてるのに自然死はないだろ・・・ -- (名無しさん) 2011-11-25 12 28 49 どうも大分前のシリーズからこの設定ぽいから、初登場時からミスってたんじゃないかね。 そのまま修正されず引き継がれてる感じ。無双6の事典はwikiと同じになってる。 -- (名無しさん) 2011-11-25 15 42 41 次男だったんだな…字も次曾だし -- (名無しさん) 2013-08-18 04 58 18 仮想シナリオにおいても、武力と適正は充分一線級。特技は単体では確かに微妙なのだが、書き換える候補が特にないのも事実である。 連戦や猛者、疾走や騎神は武力関係ないので副将でいいし、騎・弩以外の適正はイマイチなので覇王もあんまり向いてない。勇将系なら高い武力を活かせるが、騎兵一本ならクリそのものにあまり意味がない。 統率にやや劣る文鴦にとって急襲自体とのシナジーは高いので、戦法失敗時の保険という意味でもそのままにしておいてよいだろう。能力研究ではつけられない特技だし。 -- (名無しさん) 2014-08-27 01 31 21 大体集結系でしかお目にかかることは少ない。 -- (名無しさん) 2017-06-25 19 47 48 彼と言い、鄧艾、鍾会といい・・・末期魏軍(実質晋軍)には、末期でも人材が沢山いるなあ。 三国志11だと、それが実感しづらいのが少し残念。 -- (名無しさん) 2017-11-17 17 18 06 魏と呉の間を行き来したんだから相性値は140くらいが妥当だろ、38ってなんだよ馬鹿じゃねぇのコーエー -- (名無しさん) 2018-04-29 03 46 17 もし相性を140近辺にすると父親を斬った諸葛誕と仲良くなるわけで呉との相性なんかよりよっぽど馬鹿扱いされる。 かといって諸葛誕を別の相性にすると魏と呉の間を行き来したんだから相性値は140くらいが妥当だろ、~ってなんだよ馬鹿じゃねぇのコーエーと諸葛誕の欄で叫ぶことになる。 それなら趙雲に比較されるの一文を拡大解釈して文一族を蜀寄りの相性にした方がマシ。 なお、史実関係なくという話なら英雄集結の場合毌丘倹達ともども140にした方が格段に楽になる。 下手な内は140に合わせてしまうのも手である。 -- (名無しさん) 2018-04-30 22 12 45 Vでは諸葛誕と相性近かったけどね(文親子41、諸葛誕38) -- (名無しさん) 2018-05-10 19 44 52
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36735.html
登録日:2017/04/26 Wed 00 56 30 更新日:2024/05/02 Thu 16 18 28 所要時間:約 22 分で読めます ▽タグ一覧 コミュ障 スキャットマン トウ艾 三国志 三国志演義 不遇 中国史 吃音 名将 地図 山越え 政治家 文官 曹魏 機種依存文字 武将 簀巻き 老将 軍事財政共にイケる…が、空気だけ読めなかった人 遅咲き 高性能じいちゃん 魏 トウ艾(とう-がい)(?-264) 字は士載。 荊州、義陽の人。 ※トウは機種依存文字で、登+おおざと。本来の表記は「鄧艾」。 【下積み時代】 荊州の大都市、義陽の出身。死没時の年齢から逆算するに、190年代後半の生まれだと推定される。208年に曹操が荊州を制圧すると、母親や一族と共に遠く離れた汝南に農民として移住した。 父親は早くに亡くなっており家庭は貧しかったが、どうやら教育を受けられる程度の家格ではあったらしく(*1)、後に県の職員として採用されることになった。 といってもスタート時の身分は都尉学士、つまり町長のお供・兼・役人候補生といったところで、まだまだ正規の役人ですらない身分だった。 その後候補生ではなく正規に役人となるが、その役職は稲田守叢草吏、つまり町の税務署(兼農協)の下っ端役人と言ったところであり、やはり出世とは縁遠かった。 【まだまだ下積み時代】 若い頃のトウ艾は、かつて御者(運転手)として仕えたこともある名士郭玄信から「君の才能ならいずれ宰相にまでなれるだろう」と評され、また本人も軍事的に重要な地形を見ると測量して戦術を練るなど高い志をもっていたのだが、 しかし現実としては地方の小役人という立場に長く甘んじていた。 というのも彼は前述の通り背景もない貧家の出であり、またかなりきつい吃音症だったので、同僚や上司からはその点を馬鹿にされてなかなか評価されなかったのである。 このためトウ艾は、かなりの年齢(30代後半~40代)までを徴税・農業分野の地方役人として過ごすことになるが、それでもその優れた才能から少しづつ出世はしていき、最終的には上計吏にまでなっている。 上計吏とは地方の会計を中央に報告し、同時に質問に答えたり指示を受けたりする職で、地方官僚ではあったが中央の要職にある人に接する機会が多く、彼らに認められれば中央の出世コースにも乗れる立場だった。 そしてある年、この職務の為に洛陽に赴いたトウ艾は文字通りの「中央の要職にある人」の目に留まり、その才に着目した彼によって掾(属官)として迎え入れられることになる。 そう、当時大尉(国防大臣)として位人臣を極めていた司馬懿その人である。 【司馬懿の下で】 司馬懿によってようやく中央でのエリートコースに乗ったトウ艾は、徐々にその才能を天下に示し始める。 トウ艾が最初にその名を高めたのは、司馬懿から対呉戦線の視察のために南方に派遣された時の事。 現地を視察したトウ艾は「土壌は豊かだが水が足りていません。運河を作って水さえ引ければこの土地の収穫は跳ね上がるし、輸送の役にも立つでしょう」と司馬懿に進言した。 またトウ艾の報告はそれだけに留まらず「この地は豊かな収穫の可能性があるだけではなく、兵站拠点としても非常に優秀であり、対呉戦で大いに役立つと思われます」と具体的な数値を算出して説いてもいる。 司馬懿はこの報告を高く評価し、全てその通りに実行した。これによって対呉戦線には極めて強固な拠点ができ、また同地は水害もなくなり収穫量も上がって豊かな土地になることができた。 【武官デビュー】 こうして行政官として出世していったトウ艾は、ついに南安の太守に昇進した。また同地は蜀漢と面する最前線の一部であったため、同時に軍事面での役職・権限も与えられた。 249年になると、蜀漢の姜維が何度目かの北伐をかけてきたため、トウ艾も対蜀戦線の総指揮官であった郭淮の元でいよいよ実戦に参加することになった。 この戦い自体は、数と地の利を活かした魏軍に対して姜維が殆ど何もできずに引き下がる形になったが、それを見た郭淮は、今のうちに姜維に呼応した西の羌族を討伐しようとする。 しかしトウ艾はこの時「姜維は後退はしていますが、まだそこまで離れてはいません。好機と見れば引き返してくるかもしれません」と進言。 郭淮はこれを受け入れてトウ艾を守将として残したため、予想通りに引き返してきた姜維と、川を挟んで守りを固めたトウ艾との戦いが始まることになった。 姜維は廖化にトウ艾の軍を引き付けておくための陽動を命じて、自身は後方にある別の城を急襲しようとしたが、トウ艾は廖化の動きの鈍さからこれをあっさり看破。 大胆にも防衛線を放棄し、姜維の目的とみられた後方の城まで後退した。 この判断は功を奏し、城を狙っていた姜維は先んじてトウ艾が守っているのを見てこの攻略をあきらめ、今度こそ本当に撤退することになった。 初陣にして大戦果を上げたトウ艾は討寇将軍に昇進し、以後は軍事分野でも大いに活躍することになる。 【司馬家の重鎮】 司馬懿の死後もトウ艾はその子司馬師に重用され、城陽太守、汝南太守、兗州刺史と地方長官職を歴任しつつ、豊富な経験から来る的確な献言で彼を支えた。 トウ艾はこの時期司馬師に対し 「戦に勝つためには軍が強くなければなりませんが、軍を強くするためには農業生産力が高くなくてはいけません。国を強くするためには軍の前にまず民と農業です。人材を評価する際にはここを念頭に置かねばなりません」 と進言し、農政の重要さを説いている。 また長く地方で農業の実務に携わってきたトウ艾は自身の農政能力も抜群であり、各任地では的確な農業政策を施してその生産力を高め、次々と豊かな拠点に変えていった。 そして50代も後半に突入していたトウ艾だったが、軍事面でもその活躍は全く衰えなかった。 255年に起きた大規模な司馬家への反乱(カン丘倹・文欽の乱)では終始主力として活躍し、カン丘倹のかく乱工作を阻止したり、文欽軍を壊走させたり、呉からの援軍を防いだりと大戦果を挙げている。 【VS姜維】 しかし司馬師やトウ艾が南の方に注力している間に、西の対蜀戦線はえらいことになっていた。 253年に丞相費イが暗殺された後、督中外諸軍事となって軍権を掌握した姜維は積極的な北伐を敢行しており、魏に無視できない損害を与えていたのである。 まず254年には魏側の裏切りに乗じた形で3つの県が奪われ、阻止に向かった魏軍も大損害を受けて撃退された。 そして続く255年にはトウ水沿岸における戦いで雍州刺史王経が姜維と戦い、壊滅的な大敗北を喫した。この戦いで失われた兵士は万を優に超える数で、魏としては蜀漢の北伐が始まって以来の大損害となった。 更には姜維の活発な攻撃に伴い、これに呼応した西の羌族もまた不穏な動きを見せはじめていた。 魏にとっては割と洒落にならん危機的状況であり、トウ艾も仮節・安西将軍として急遽西に送られることになった。 しかし同地では「まあ負けたけど、所詮蜀だしこの程度が限界だよね」という楽観論が支配的であったため、トウ艾はブチ切れて 「姜維を舐めるな!こっちは大損害を受けているから絶対また来るぞ!すぐにでも来る!」 と叱咤して各地の防衛を、特に姜維の最優先目標と判断した祁山を重点的に固めた。 翌256年、姜維はトウ艾の予想通り祁山に攻め寄せてきたが、既に防御を固められた祁山の守りは固く、その周辺で多少の小競り合いをするだけに終わった。 やがて攻勢の限界に達した姜維は撤退し始めるが、しかしトウ艾はこれに抜かりなく追撃をかけ、段谷というところで姜維を捕捉し大打撃を与えて壊走させた。 蜀漢はこの戦いで万を超える将兵を失い、その勢いを完全に失った。また国内でも敗北した姜維への批判が大きくなって国論が分裂し、以後は一方的に衰退の道を加速していくことになった。 これ以降も姜維は何度か来襲してきたが、最早その軍に往時の力はなく、ことごとくトウ艾によって防がれる結果に終わっている。 それに対し、トウ艾は持ち前の行政能力を発揮して現地の経済力・防衛力の強化に励み、隴右地方を対蜀漢の一大拠点として飛躍的に成長させていった。 【征蜀】 段谷での大勝利から数年が経過すると、蜀漢は北伐推進派と反対派の激化する内部対立、なのに何をするわけでもない政治に無関心な君主、それをいいことに跳梁する宦官、と亡国フルコンボ状態に陥りつつあった。 これを見てとった魏の大将軍司馬昭は、今こそ蜀漢を滅ぼす好機であるとその意思を周囲に示した。 トウ艾は時期尚早と見たのかこの時期の侵攻には反対していたが、計画は司馬昭本人と鎮西将軍鍾会によって進められ、263年5月に決行されることになった。 しかし計画立案に関与しなかったのが祟ったか、この戦いでのトウ艾は初戦で姜維軍の拘束に失敗し、後退して難攻不落の剣閣要塞にこもる隙を与えてしまう。 姜維が守る剣閣はそのまま鍾会が攻め続けたが、その守りは固く、このままではらちが明かないとみたトウ艾は、司馬昭に 「敵の虚を突くべく、思ってもみないルートから敵の重要地点を強襲すべきです。一気に攻略できなくとも、剣閣に籠る戦力を分散させることはできます」 と進言し、自らその役目を買って出た。 トウ艾は侵攻ルートに無人の地である陰平道を選ぶと、ハンニバルのごとく山岳地帯の道なき道を無理やり強行突破する。 当然ながら軍どころか人間一人すらまともに通れるような地形ではなかったためその行軍・補給は困難を極め、犠牲も強いられたが、これによってトウ艾たち奇襲隊は見事蜀漢の虚を突くことに成功。 剣閣を越えた先にある江油関という砦に満身創痍でたどり着いたところ、守将馬邈があっさり降伏してこれを奪い取った。 このトウ艾の離れ業とも言うべき奇襲に蜀漢は慌てふためき、援軍として北に向かっていた諸葛瞻(諸葛亮の子)を急遽転身させて迎撃に向かわせる。 諸葛瞻は懸命に戦って一度はトウ艾を退けるが、2度目の攻撃には耐えられずに壊滅。 蜀漢の首都を守る戦力は完全に失われ、トウ艾はそのまま首都である成都へと進軍して、劉禅を降伏させた。 時に263年11月、蜀漢はここに滅亡し、三国鼎立の時代は終わりを告げた。この大功を賞し、トウ艾はついにかつての司馬懿と同じ、大尉の階級を与えられている。 既に70歳になろうとしていたトウ艾の最大、そして最後の大戦果だった。 【敵国破謀臣亡】 成都に入ったトウ艾は兵士に略奪を禁じて民心を安定させると、司馬昭に対して 「まずはこの蜀の地を上手く統治して軍を回復させ、やがては水軍を使って呉へ侵攻すべきです。そのためには降伏した劉禅を厚遇して人心を安定させるとともに、呉の皇帝孫休に対しても彼への寛大な処置を見せつけておくことが重要です」 と進言。そして独断で劉禅に行驃騎将軍の役職を与えてその財産を返却し、またその王子や重臣たちにも魏での階級を与えていった。 しかしいくら「戦時には前線の将軍には独断が許される」のが常識ではあっても、流石にこれは越権行為であった。第一既に蜀漢は制圧されて戦は終わっており、上に判断を仰ぐ時間がないわけでもない。 この事後報告を受けた司馬昭も「ちょっと自重しろよ」と注意したが、トウ艾は「この機を逃してはなりません。私は決して国家の損害になるようなことは致しませんのでご安心ください」と独断で事を進めることをやめなかった。 そしてこの両者の不協和音につけ込んだのが鍾会、胡烈、衛カンといった、「トウ艾に1番手柄を取られてしまった」将官たちだった。 彼らは揃って「トウ艾に反乱の気配あり」と司馬昭に何度も訴えたため、ついには司馬昭もこれを信じてトウ艾の解任と逮捕、そして首都への送還を決定した。 トウ艾は司馬懿に見いだされて出世コースにのり、そのまま司馬家3代に忠実に仕えてきた宿老である。 司馬昭からすれば反乱の疑いなど笑い飛ばせそうなものだし、現にこの命令にトウ艾が素直に従っているところから考えても、反乱の意思などなかったのは間違いない。 しかし司馬昭には重大な弱みがあった。彼は260年、主君であった皇帝曹髦を殺しているのである。 始皇帝が初めて皇帝を名乗ってから500年近くがたっていたが、この間に皇帝弑逆という究極の大罪を犯した臣下は、秦の元祖悪徳宦官こと趙高、後漢で跋扈将軍と罵られた梁冀、このわずか2名のみ(*2)。袁術陛下も病死だし まして司馬昭の場合、梁冀の様に裏でひっそり暗殺したわけですらなく、自らを逆臣として排除しに来た皇帝を返り討ちにして白昼堂々ぶっ殺してるわけで、どう考えても言い訳のきかない超大逆行為だった。「趙高のように自分から攻め込んだわけではない」といっても弁護にならないだろう。 仮にこの時代「秦漢魏ぐう逆(ぐうの音も出ないほどの逆臣)ランキング」を作ったりしたら、王莽や董卓あたりとトップの座を争えたこと間違いない。 つまり当時の司馬昭にとって、「逆臣司馬昭を討つと言って○○が挙兵しようとしています」と言われると、冗談では済まないリアリティを持ってしまう状況にあったのである。 しかし現実はさらに非情で、実際に挙兵したのはそのトウ艾を陥れた鍾会の方だったわけだが… トウ艾が逮捕されて都へ送られる途中、代わりに成都に入った鍾会は姜維と組み、打倒司馬昭を呼号し反乱を起こした。 この反乱はほどなくしてあっさり失敗するが、トウ艾への処置に怒っていた直属の部下たちは、上司を開放すべくこのどさくさに紛れて護送車に追いつき、彼と息子のトウ忠を救出した。 しかし反乱を鎮圧した軍監衛カンはトウ艾を逮捕した張本人でもあり、後に復讐されることを恐れてこれを襲わせ、息子のトウ忠もろとも彼を殺害した。 こうして264年1月、トウ艾は申し開きをする暇すら与えられずに反逆者として殺されてしまった。 洛陽にいた他の子どもたちもこの罪に連座して司馬昭に処刑され、妻や孫たちも流罪とされている。 【人物】 長い実務経験を背景に、軍人としては勿論、行政家、農政家としても高い手腕を発揮したマルチな人であり、いずれの仕事をさせても同時代でトップクラスの評価を得ていた。 軍事と違って内政というのは即座に結果が出るようなものではないが、トウ艾が自ら統治した地域はいずれも短期間のうちに急速な成長を遂げている。 特にトウ艾が隴右地方の拠点化に成功したことは、蜀制圧における最大の成功要因だったとすら言える。驚くべき行政手腕である。 後漢~晋にあたる時代は貴族制確立への過渡期であり、トウ艾のような低い身分から出世した人物にとっては非常に風当たりが強い時代だった。 ましてトウ艾の場合は吃音というハンデまで背負っていたのであり、そんな中を実力のみで出世したトウ艾の才能はまさしく驚異的と言えるだろう。 しかし一方で対人スキルはかなり壊滅的であり、その性格に関しては「強情」「性急」「無神経」「傲岸不遜」「自画自賛」「独断専行」など、なかなかお付き合いをためらってしまうNGワードが頻出する。 出自の低さもあって、(相応の身分から出ている)同僚や部下達とも非常に仲が悪く、トウ艾を慕っていたのは直属の部下と同郷の友人たち、そして長く同僚・戦友として共に蜀と戦い続けた陳泰ぐらいしかいなかった。 そしてこのコミュ力の低さは結局、彼に悲劇的な最後をもたらすことにもなった。 後の晋の時代、かつてトウ艾の部下だった段灼という人物が皇帝司馬炎に対し、 「トウ艾は決して謀反しようなどとしたわけじゃないんです。ただ強情でコミュ障でぼっちだったから、誰も彼をかばってくれなかっただけなんです」 と割とひどいことを言って彼を弁護しており、「三国志」の著者である陳寿も「素晴らしい才能と実績を持っていたが、身を守る配慮が無かったので命を落とした。諸葛恪を手厳しく非難していたが、ぶっちゃけおま言うである」(意訳)と断言している。 それ以外に伝わっていることとして、豚足が大好きで食卓には毎日豚足を出させていたという。 料理人も鄧艾が飽きないようにと、鄧城葉氏猪蹄という豚足に複雑な味付けをする技法が編み出され河南省の無形文化遺産となっている。 【家族】 『トウ忠』 嫡男。蜀漢制圧時には父の部下として武将を務めるが、蜀のMr.七光りこと諸葛瞻の守りを突破できずに引き下がるというかっこ悪い所を見せてしまう。 しかし父に「諸葛瞻は強い……まだ勝てない……」と正直に話したところ、「殺すぞ」という身も蓋もない恫喝を受け慌てて命乞いすることに。 そして次の日は死に物狂いで諸葛瞻のこもる綿竹関を再攻撃し、ついにこれを制圧するという戦果を上げた。 しかし蜀制圧後は父親と共に反逆者として逮捕され、前述の通り衛カンに殺されている。 後に彼の子は司馬炎にその罪を許され、宮廷に復帰している。 創作では妙に優遇されており、三国志演義では役者のような白皙の美青年として登場し、姜維と一騎打ちをしてこれを圧倒するという凄まじい強さを見せつけている。 また「若イケメンこそ正義」な現代サブカル分野では人気が沸騰中で、特に中国の三国志関連ではこの手の息子キャラの中で1.2を争う人気を集めているようだ。 【創作作品におけるトウ艾】 三国志創作界隈におけるトウ艾は、一言で言うと「輸入型」に属する。 つまり張飛や趙雲などのように、大衆向けの講談・戯曲・演劇といったメインストリームで成長してきたキャラ達とは異なり、本来別系統の創作で目立っていた人がスピンアウトされて入ってきた感じのキャラである。 同じような経緯をたどって三国志系に「輸入」されてきたキャラには関索、周倉、曹植、左慈などがいるが、トウ艾の場合は彼らと比べても非常にその時期が早い。 @演義以前@ トウ艾の三国志創作への登場は、現代の知名度からは想像もできないほどに早かった。 その時期はなんと唐の時代、つまり三国志創作がジャンルとして確立し始めた草創期にまでさかのぼる。 当時の魏の将でレギュラーだったのは曹操本人、張遼、司馬懿、そしてトウ艾ぐらいのものであり、まさしく破格の扱いだったと言える。 なぜここまでの扱いを受けていたのかと言うと、それはひとえに彼の「知名度の高さ」故である。 当時の中国におけるトウ艾の扱いは以下のような感じだった。 ◆「エリート層のトウ艾像」 儒教的教養のある層からは、トウ艾は「魏晋時代の悲運の名臣」として有名だった。 「国に忠誠を尽くした忠臣だったが、讒言を受けて陥れられた」トウ艾は、ある意味士大夫にとって理想とするタイプの人なのである。 漢民族は本来、実務能力と同じぐらいに保身の能力を重視する。 彼らは国家に責任を持っているが、同時に家、つまり先祖にも責任を持っているからである。漢民族にとって家の祭祀を保つと言うのはそれほどに重いのだ。 なので「いくら功績を上げても、家が守れないんじゃねえ」というのが士大夫の公式見解なわけだが、しかし同時に「でも実はそのスジ通すところにちょっと憧れるかも……」と言う密かな本音もある。 そういう感情が「白起とかトウ艾とかいいよね……」「いい……」的な感じで密かな憧れとなるのである。 ただトウ艾は出自が貧しいため、晋~唐にかけての貴族社会ではマイナス方向へのバイアスも小さくはなかったが、いずれにしても士大夫層での知名度は非常に高かった。 ◆「庶民のトウ艾像」 そして庶民、あるいは土豪などの低い身分の人々にとっても、トウ艾は三国志モノに登場する前から高い知名度を誇っていた。 しかしそれは武将としてではなく、もちろん政治家としてでもなく、なんと神様としてであった。いや、もっと正確に言うなら「怨みを呑んで死んだ祟り神」とみなされていたのである。 詳しく説明すると、まず中国の道教には古くから「厲(れい)」という宗教概念がある。 これは「非業の死を遂げた大人物の霊は瘟神(おんしん。疫病神のこと)となり、生きている人に疫病や天災などの災厄をもたらす」と言う考え方で、日本の怨霊信仰の源流ともいわれる古い民間信仰である。 「寒門の出から実力で立身し、敵を撃ち滅ぼして大功を挙げたが、無実の罪で無念の死を遂げた」トウ艾は、まさしくこの厲の条件にぴったりハマる存在だった。 唐代のオカルト系道教書には「大鬼主トウ艾」という恐ろしい名前で記載されているほどで、完全に瘟神の中でもボスクラスに出世していることがわかる。 この祟りを恐れた民衆、特に蜀や隴右の人々によってトウ艾は篤く信仰されており、これが高い知名度に繋がっていたのである。 とまあこういった感じに幅広い層で知られていたトウ艾は、三国志系の作品で「曹操サイドの将軍」として登場させるのに便利だったというわけ。 しかし当時の三国志創作は到底歴史創作と呼べるようなものではなく、どちらかというと歴史上の人物が登場するエンタメ作品であり、その人格や業績などはほとんど再現されていなかった。せいぜい「吃音」という要素が強調されていたぐらい。 これはトウ艾に限らず、張飛や孔明、曹操などと言った他のメインキャラでも同様である。 @三国志演義@ 元代になると、それまでに蓄積されてきた講談や戯曲などの三国志系創作を寄せ集め、一つの歴史物語として編集していく流れができた。これによって生まれたのが「三国志演義」である。 三国志演義ににおいて敵役である魏将は割とぞんざいな扱いを受けることが多いが、そんな中でトウ艾は比較的好待遇を受けている。 ▼「若い」 史実で言えば長坂の戦いの頃にもう生まれているトウ艾の方が5歳ぐらい年上だが、なぜか姜維から「小僧」呼ばわりされる年齢になった。 でも若武者枠は息子のトウ忠が持っていく感じなので、青年と言う感じでもない。 ▼「強い」 初登場シーンからして「司馬師の陣を奇襲して無双している文鴦の前に颯爽と現れ、一騎打ちを演じてこれを退ける」という美味しい場面であり、その後姜維とも2度にわたって互角の一騎打ちを繰り広げている。 ちなみに息子はもう少し強い。 ▼「賢い」 軍を率いても強く、対姜維戦に投入されると、その知略でそれまで優勢気味に進めていた姜維の北伐を一気に打ち砕く活躍を見せた。トウ艾改善は賢く強い! しかし姜維も孔明同様、「負けたけど敵将を倒したので痛み分け」「勝ってたけど讒言で呼び戻された」「オリジナルの戦いが追加されてそこで勝利」などのセーフティが高確率で作動するので、物語上はそこまで強い印象は受けない。 互角かやや有利といった感じ。 ▼「出世頭、吃音」 再生怪人ばりに出てきては使い捨てられるのが基本の魏将としては珍しく、「幼くして父親と死に別れ、周囲の人々からも認められなかったが、司馬懿だけがその才能を認めて高い地位につけた」と、そのキャラ背景まで語られている。 また「吃音だった」こともちゃんと劇中で触れられてはいるが、彼の発言が実際にどもることはない。古い講談や戯曲などでは(ギャグ的な扱いで)どもっていたようだが、演義成立の際には削られてしまったようだ。 ▼「特に性格に難がある人物ではなくなった」 演義のトウ艾は道徳的にも立派な士大夫であり、史実のようなコミュ障な面は抑えられている。 せいぜい蜀を制圧した後に「大将が呉漢でなくてよかったな、呉漢だったらお前らもう死んでるぞ」(*3)と自慢げに言ったぐらい(これは正史にもある)。 とまあこんな具合で、演義終盤の主役の一人として申し分ないキャラに仕上がっている。 しかし正史要素が加わったことでキャラとしては大きく躍進した反面、登場シーンそのものは大幅に減ってしまった。 古い時代はそれこそ長坂の戦いにも平気で出ていたりしたのだが、三国志の登場人物として組み込まれた以上、流石にそういう時代無視プレイもできなくなってしまったのである。 なのでこれ以降のトウ艾は、「キャラが立つにつれて出番が減る」という珍妙な現象に悩まされることになった。 @それ以降@ 創作としてみた場合、三国志の主役は何といっても劉備達桃園3兄弟+孔明であるのは間違いない。 このため活動時期が彼らとかぶらないトウ艾は、どうしても三国志創作のメインストリームではプッシュが弱くならざるを得なかった。 また時代を経て蜀漢正統論(魏は簒奪者であり、劉備の蜀漢こそが正統な王朝であるとする考え)が力を持っていくに従い、トウ艾への好意や信仰も薄くなっていった。 彼が忠誠を誓うのが魏の皇室ではなく、すでに簒奪ムードに入っている司馬氏だというのもネックか。 悪役の簒奪王朝をさらに簒奪しようとしている悪党のもとで、しかも主人公側の国に引導を渡すという活躍を見せられても、読者としては感情移入しづらいだろう。 現代になるとアニメやゲームなどの新しいジャンルの創作が躍進しているが、やはり登場期間という致命的な問題はいかんともしがたく、あまり目立つ存在とは言えない。 むしろ物語を見る目がシビアになった現代では、(はっきりいってあんまり面白くない)孔明死後の展開はきっぱりと切り捨てられることも多く、なおのこと状況は厳しくなっていると言えるかもしれない。 だが出てきた場合は基本的に優遇され、文武両道のナイスミドルである事が多い。 性格も真面目ながら、吃音持ちかつコミュ障な事をアレンジし「口下手」「冗談が下手」「物事を率直に伝えがち」なキャラになる事が多い。 『横山三国志』 多くの三国志演義系作品同様、孔明死後の扱いはとってもぞんざい。孔明の死から蜀滅亡までの約30年間を最後の1巻、話数にして11話だけで突っ走っている。 トウ艾も263年の蜀制圧直前に唐突に初登場し、 姜維「さあ来いトウ艾!俺は実は剣閣を迂回されただけでで死ぬぞオオ」 トウ艾「チクショオオオオくらえ姜維!難所行軍(※三国志11)!」 姜維「グアアアア!この麒麟児と呼ばれる姜伯約がこんな小僧に……」 トウ艾「この後にまだ俺の逮捕とか呉の滅亡とかがあった気がしたがそんなことはなかったぜ!」 こんな感じでフェードアウトする。 横山三国志は作画資料として中国で出版されていた二種類の連環画(絵本)を参考にしているのだが、トウ艾はなぜか連環画と違って周倉型のヘルメット兜になっている。 本来の連環画ではトウ艾は所謂「コーエー三国志式」のつばが反り返った帽子のようなアレを被っているのだが、これは恐らく横山先生が帽子のつばの反り返り部分を、下から見たつばの裏側と見間違えたものと思われる。 『コーエー三国志』 連環画由来の例の帽子がソンブレロ(メキシカンが被ってる例の帽子)に似ているということで、ドンタコス呼ばわりされている。IIIの頃から欠かさず被っているところを見ると相当にお気に入りのようだ。 性能的には魏でも屈指の強武将であり、統率・武力・知力のトータル部門では関羽・趙雲・姜維らと毎回トップを争えるレベル。 能力傾向としてはライバル姜維に酷似しており、3つの数値が満遍なく高いバランス型。しかし基本的に統率でわずかに上回り、知力でわずかに下回る傾向がある。 しかし姜維は7あたりから急激に政治の数値が低下したため、政治や魅力を併せた合計ではトウ艾がほぼ勝っている。まあトウ艾はトウ艾で魅力があまり高くないので僅差だが。 『三國無双』シリーズ 5までのモブ武将時代は無双演舞で三国志後期の描写が殆どなかった(基本的に五丈原と合肥新城が最終ステージ扱いだった)ため、本編ではかなり地味な存在。 しかしモブにも個々でステータスが設定されるEmpiresシリーズでは例外的に能力が異様に高く、名将としての貫禄と存在感を保っていた。 6で北伐以降の後期魏武将で構成される「晋」勢力の実装と同時に、その所属武将として脱モブを達成。CVは小原雅人。 武官としての活躍時期が50代以降と言う史実を反映してか、若いイケメンが多い近作ではめずらしいおっさん顔。 しかも黄蓋にも負けないガチムチ体型の持ち主というかなりいかついビジュアルだが、性格は非常に真面目で落ち着いた常識人。 史実由来で元は文官という設定もあるが、なんでも「任務で力仕事をこなすうちにこうなった」らしく、そのムキムキの肉体を活かした必殺関節技も見せてくれる。 6以降のタイトルでは自由な武器持ち替えができるためキャラ性能の差はやろうと思えば均一化はできるが、 得意武器の螺旋槍は見た目がドリルで「全攻撃がガードブレイク」という特性を持つ凄まじい重量武器。 一方で固有性能の無想乱舞などはまあ可もなく不可もなく、しかし関節技があるのでロマンはあり、といったところ。 7empiresでは螺旋弩というガトリング砲に持ち替えたが、こちらも癖はあるがなかなか強力。稲姫最終形態。 吃音・コミュ障といった部分については流石に再現されていないが、そもそも前述の通り演義の時点でもろくに採用されていない要素なので、原作通りと言えなくもないかも。 『三国志大戦』シリーズ イラストごとにキャラ付けも能力も異なる本作だが、知勇兼備のイケメンで共通している。 旧版では2からの登場で、高知力の伏兵持ちかつ張遼の持っていた「神速の大号令」の短時間版で小出しにしやすい「刹那の神速」で大暴れ。 しかしやりすぎたあまり3ではエラッタが施され、計略も自分が相手から見えなくなる単体強化の「隠密の神速行」にされた。 新版でも同様のスペックで再登場しているが、新たに晋勢力が追加されたことでそちらでも登場。 いずれも自身の武力と速度が上がることは共通している。 また遊軍が追加された際にはそちらでも出ており、どの鄧艾を使うかでプレイヤーの頭を悩ませている。 『追記:修正だ!』(ヘッドシザーズホイップをきめながら) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 鄧艾ナイスガイ -- 名無しさん (2017-04-26 01 51 59) 豚足が大好物で自分で料理を作ったくらい。この豚足料理は今でも中国に残ってる。そういえば地図作りのことに触れてないな。当時地図作りは相当変わった趣味で同僚から笑われていたが段谷の戦いでその有用性を大いに示した。 -- 名無しさん (2017-04-26 04 02 03) あとトウ艾をはめて殺した奴らはロクな末路を辿っていない。鍾会を反乱失敗で戦死、衛カンは皇后の讒言により処刑、胡烈は羌族の反乱で戦死、師纂はトウ艾と同時期に何故か殺された(短気で死体が傷だらけだったらしいのでたぶん怨恨) -- 名無しさん (2017-04-26 04 17 21) 有名な人だったから昔からあちこちに廟があったけど、演義とかの影響で「敵を祀るのはよろしくない」って関帝廟とかに改造されちゃったりしてるなかなかに不憫な人 -- 名無しさん (2017-04-26 11 16 27) 蜀を滅ぼした存在ではあるものの劉禅を厚遇したこと、その悲劇的な最期などから、蜀贔屓からも比較的マイナスイメージを持たれにくい印象 -- 名無しさん (2017-04-26 11 31 39) 独断専行ながらも蜀の統治は評判がよかったのか、蜀の官僚だった樊建は司馬炎に鄧艾の赦免を願い出て許されたらしい。 -- 名無しさん (2017-04-26 12 59 33) ぐう逆とかいう突然出現するパワーワード -- 名無しさん (2017-04-26 16 16 31) 蜀滅亡直後はそのゴタゴタに乗じた西南夷や旧蜀臣の反乱、呉によるハイエナが予想される状況だったわけで悠長に中央政府に指示を仰いで待ってる余裕があったかは微妙な所じゃないかな・・・実際は鍾会・姜維の乱と呉の侵攻の時期がズレてくれたおかげでどうにかなったわけだけど -- 名無しさん (2017-04-26 17 07 08) 黄皓に賄賂とかを贈って内通させたりしてたら(実際は斬ろうとして逃げられた)一発で人形劇呂蒙化してたかもね。 -- 名無しさん (2017-04-26 18 01 22) ↑2 呉の侵攻に関しては羅憲か -- 名無しさん (2017-04-26 19 59 53) ミス ↑3 呉の侵攻に関しては羅憲がギリギリ持ちこたえてくれたおかげで首の皮一枚でつながったからな。羅憲は一度司馬昭に援軍要請をしたけどこのゴタゴタのせいか送ってこれなかったからな。ちなみにようやく送ってきた援軍を率いていたのはよりにもよってトウ艾殺害の主犯者の一人である胡烈という。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 05 22) ↑4 南中に関しては霍弋がうまくまとめていたおかげで何ともなかったからな。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 08 29) 三国志大戦2の姜維と鄧艾のストーリーは超かっこよかった -- 名無しさん (2017-04-26 21 53 02) 小前亮さんの姜維伝って小説で吃音しっかり拾ってて驚いた。異常に格好良い夏侯覇が退場してこの後の展開大丈夫かと思ったら華麗に主役奪っていったわ。胡烈が友人ポジで丘建と共に鍾会よりキャラ立って魅力的に書かれてるって優遇受けてるけど鄧艾好きは読むべき。 -- 名無しさん (2017-06-25 01 25 48) 司馬昭にとっては鄧艾、鍾会、姜維三者共倒れしてくれてよかったと思っていそう -- 名無しさん (2021-02-14 11 06 04) 鍾会は野望と器が釣り合っていないと友人から行く末を心配されていた。 -- 名無しさん (2021-02-28 01 09 32) 鍾会が反乱を起こさなくてもいずれは司馬昭に消されていた可能性が高い。 -- 名無しさん (2021-03-14 00 46 16) 強襲案が採用されて成功した魏延ってとこかな?有能だけど周りに味方がいなくて反逆者扱いされて殺されたとことか似てるし。 -- 名無しさん (2022-05-27 20 30 25) 部下の擁護が的確であるがゆえにヒドイけんについて -- 名無しさん (2022-05-27 20 44 16) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/cwcwiki/pages/120.html
中見出し 三国志Ⅷ 中見出し 三国志Ⅷ ID+ゲーム名 三国志8の新しい武将を作るときのボーナス能力ポイント99 新武将作成時、各能力の最大値と振り分けポイントが100 金9999,治安100,技術1200 ID+ゲーム名 _S ULJM-05240 _G Sangokushi 8 三国志8の新しい武将を作るときのボーナス能力ポイント99 2007/03/23(金) 21 17 03 ID t1aOIF4+ _C0 New Busyou Point 99 _L 0x017E9970 0x00000063 三国志8の新しい武将を作るときのボーナス能力ポイント99 表示的には0になっても本当は99あります 新武将作成時、各能力の最大値と振り分けポイントが100 2007/03/24(土) 11 55 31 ID 4+Iw6pQi _C0 shinbusyou nouryoku 100 _L 0x817E9960 0x00060004 _L 0x00000064 0x00000000 ↑新武将作成時、各能力の最大値と振り分けポイントが100になります。 _C0 1rime tokugi ALL _L 0x205D1BC0 0xFFFFFFFF _C0 1rime senpou MAX _L 0x205D1BC4 0xDDDDDDDD _L 0x205D1BC8 0x0DDDDDDD ↑新武将1人目の特技を全て取得、戦法も全て「極」になります。 2人目以降は +BC hです。 金9999,治安100,技術1200 2007/03/24(土) 19 27 56 ID Q43eIA1z 金9999 _C0 Money 9999 _L 0x105D1BD8 0x0000270F 治安100 _C0 Seculity 100 _L 0x005D7324 0x00000064 技術1200 _C0 Technology 1200 _L 0x105D7328 0x000004B0 それぞれ1人目で確認 戦争時プレイヤーの兵士20000固定(攻撃時) _L 0x210E6A50 0x00004E20
https://w.atwiki.jp/anime_wiki/pages/23925.html
1985年3月放送。続編に三国志II 天翔ける英雄たちがある。Amazonインスタントビデオが配信開始。 監督 今沢哲男 総監修 楠部大吉郎 原作 横山光輝 脚本 富田祐弘 演出補 塚田庄英 キャラクターデザイン・作画監督 我妻宏 レイアウト 木上益治 作画監督補 山本福雄 美術監督 内田建彦 仕上検査 伊藤二三子 撮影監督 高橋明彦 特殊効果 土井通明 編集 岡安肇、小島俊彦、村井秀明、中葉由美子、田中政行 録音監督 浦上靖夫 整音 中戸川次男、大城久典、柴田信弘 効果 柏原満 音楽 渡辺岳夫 アニメーション制作 シンエイ動画 Amazonインスタントビデオ:三国志 監督 今沢哲男 再生時間 1時間33分 初公開日/初回放送日 1985年3月20日 提供 シンエイ動画 ■関連タイトル Amazonインスタントビデオ 三国志
https://w.atwiki.jp/sapazkouryaku/pages/5.html
三国志パズル大戦 オフィシャルサイト http //sangokushi-puzzle.jp/ 三国志パズル大戦 公式ツイッター https //twitter.com/sanpuzz_cygames
https://w.atwiki.jp/oriacasiyo/pages/42.html
呉 SSR SR R 小喬
https://w.atwiki.jp/taisendsten/pages/67.html
呉-3 弓2.5 UC太史慈 槍1.0 UC張紘 槍1.0 UC張昭 槍1.5 C陳武 弓1.5 UC程普 弓2.0 R丁奉 槍1.5 C董襲 槍1.0 C潘璋 弓1.5 R陸抗 弓2.0 SR陸遜 騎1.0 C淩操 槍2.0 UC淩統 呉-2 << >> 呉-4 呉-025 UC太史慈 武将名 たいしじ しぎ 信義篤き勇将 太史慈 -子義- 敵として孫策と一騎討ちを繰り広げた後、孫策に心服して配下となった呉の将。百発百中の弓の名手として知られる。孫策亡き後も呉軍屈指の将として活躍をするが、合肥の戦いで戦死する。「真の戦場を知らぬ者が、俺に勝てる道理はない」 コスト 2.5 属性 人 兵種 弓兵 能力 武力9 知力5 特技 勇猛 計略 遠弓麻痺矢戦法 自身の武力と射程距離が上がり、矢を当てている敵の移動速度が下がるようになる。 必要士気4 Illustration 塚本陽子 入手方法 戦略の章 第一章 II(金 2000)、III(金2000)戦略の章 第四章 I(金2000)、II(金 2000)、III(金2000)戦略の章 第五章 I(金2000)、III(金2000)戦略の章 第六章 I(金2000)、II(金 2000)、III(金2000) スターター2.5コストカードの呉代表。魏・蜀と同じく、武力9知力5で特技勇猛を持つ。 しかし、ハッキリと書いてしまうが、魏・蜀のスターター2.5コストカードと比べると非常に弱い。 そもそも遠弓麻痺矢戦法は2.5コストの知力5が持っていてもしょうがない計略である。 同コストを弓兵に割くならR徐盛やSR呂蒙がいるし、別のコストに同じ役割を求めるならR丁奉がいる。 何よりRの自分があまりにも優秀すぎる事が大問題である。 一応、遠弓効果のある計略を持つカードの中では計略効果中の武力が最も高いため、 例えば遠くにいる敵の舞姫やSR陸遜などを大急ぎで倒したい時に若干役立つかもしれない。 だがやはり全体的に見るなら別のカードの方がいいと思われる。 あえてUC太史慈を使おうと思うならば、「高武力勇猛持ちの遠弓麻痺矢戦法」を上手く使う事が肝心。 計略使用時は武力11になるので、開幕の相手の攻勢をある程度抑制する事ができる。 意外と忘れられがちであるが、麻痺矢全般は乱戦中にも敵の移動力を下げる事ができるので、 突撃に来た騎兵を乱戦で捕獲して強引に一騎打ちに持っていく荒業が可能。 勇猛武力11なので素の呂布や関羽にすら有利になるのはかなり心強い。ホウ徳程度なら楽勝である。 攻城時も有効で、武力上昇と相手の移動力を同時に削る事ができる。 これらの用法を使いこなせばそれほど弱くない...かもしれない。 いずれにしても総力戦ではなく、消耗戦を作り出さないとあまり役に立たない。 狙った敵を確実にサーチする技術は必須。 武力9であることは確かなので、コスト8まで埋められることの多くない戦略の章では役に立つ。 どうせコストが余るなら、UC甘寧よりも知力が4も高く麻痺矢持ちの方が良いというもの。 ついでにUC甘寧と違って勇猛を持っているのも何気に大きい。 通常の対戦では弓兵が勇猛を持っていても役に立つことはあまり多くはないが、 戦略の章では柵を確実に用意する事は出来ない上、UC太史慈含めた2枚だけで戦わなければならない事も多い。 乱戦に持ち込まれたり自ら攻城に向かったりした際に一騎打ちで落とされたら目も当てられないのだ。 戦略の章の金2000を購入するとこのUC太史慈が出てくることが多いが、 彼の数少ない活躍の場でもあるし、武力9弓はやはりかなり強いし、存分に働いてもらうといい。 呉-026 UC張紘 武将名 ちょうこう しこう なし 張紘 -子綱- 呉の幕僚。張昭とともに『二張』と呼ばれ、孫策に招かれた賢士。使者として曹操の元を訪れていた際には、孫策急死の報を聞き、隙を突いて呉を攻めようとする曹操を、道を説いて説得した。その後、呉へ戻り、数々の進言を行って孫権を支えた。「恨みではなく、恩義を施すのが王の道でしょう」 コスト 1.0 属性 人 兵種 槍兵 能力 武力2 知力8 特技 伏兵 計略 浄化の計 範囲内の味方にかかっている、敵の計略による効果を消す。 必要士気3 Illustration 三好載克 AC版Ver3.02からVer3.12までずっと使用率一位を独占し続けた過労お爺ちゃん。 武力2知力8の槍が伏兵を持っているというのはかなりの高スペックである。 呉はそもそも伏兵の数が少ない勢力であり、このUC張紘を除くと4枚しか存在しない。 その中でこれだけのスペックの伏兵なのだから、呉にとってどれほど価値のあるカードであるかがよくわかる。 浄化の計は、厳密に言えば「かかっている妨害計略の残り時間を0にする」という処理を行う計略である。 なので浄化を使っても雲散の計によって消された計略効果を復活させたりはできない。 また、奥義の兵軍連環や混元一気は計略ではないのでこれも打ち消すことは出来ない。 さらに、敵の麻痺矢や弱体弓を受けて速度や武力が低下している時に使用しても、 麻痺矢や弱体弓は妨害計略ではなく特殊効果付与の強化計略であるため浄化することはできない。 あくまでこちらにかかっている効果持続型の妨害計略を打ち消すだけなので、初心者の方は注意。 スペックが高いだけでなくほとんどの勢力にとってぜひデッキに入れたい浄化持ちでもあり、 呉との混色デッキを組む際にはぜひとも採用したい1枚となっている。 AC版だけでなく、大戦・天でも非常に高い使用率を誇っているようだ。 ACでは唯一の浄化持ちであるUC張紘だが、大戦・天ではDS小喬というライバルが登場した。 槍兵のUC張紘、騎兵のDS小喬。槍と馬ならどちらかというと馬の方が呉軍には嬉しい。 しかしUC張紘は知力が8で伏兵まで持っているので、上手く住み分けが出来るのではないだろうか。 呉-027 UC張昭 武将名 ちょうしょう しふ なし 張昭 -子布- 張紘とともに『二張』と称された賢者。孫策の丁重な招きに応じて配下となる。孫策亡き後は、その遺言に従い孫権を補佐した。孫権とはたびたび衝突し、意見が聞き入れられなかった時には、一歩も家から出なかったほどに頑固な性格であった。「まったく、殿には苦労させられるわい!」 コスト 1.0 属性 地 兵種 槍兵 能力 武力2 知力8 特技 防柵 計略 防柵小再建 壊れた柵の中からいずれかひとつを復活させる。 必要士気3 Illustration 山宗 武力2知力8で、防柵持ちの槍兵。 特技や属性の点での違いはあるが、UC張紘とよく似た1コスト槍兵となっている。 つまりこちらもまた非常に高いスペックだということである。 似せてあるのはやはりこの二人が「二張」と称されていた逸話からきているのであろう。 防柵小再建は自軍の壊れた柵をどれかひとつランダムで選んで復活させるというもの。 復活させる、というのは試合開始時と同じ状態にするということである。 消費士気が3なので士気が溢れそうな時などに使っても良くなかなか役に立つ。 柵持ちの1コストであることもあり、混色の舞デッキに採用されることも多いようだ。 呉-028 C陳武 武将名 ちんぶ しれつ なし 陳武 -子烈- 黄色い顔に赤い眼という怪異な風貌の将。孫策の時代より従い、各地を転戦した歴戦の猛者。赤壁の戦いでは第4軍の大将として船団を率いた。のちに魏の龐徳と一騎討ちを繰り広げたが、茂みに追い込まれ身動きが取れなくなったところを討たれ、惜しくも敗れた。「オレ、ガンバッテ、敵タオス。殿ノタメニ……」 コスト 1.5 属性 地 兵種 槍兵 能力 武力6 知力2 特技 勇猛 計略 漢の意地 自身の武力が大幅に上がる。ただし効果が終わると撤退する。 必要士気4 Illustration 原友和 1.5コストで武力6で勇猛を持っている・・・というのは結構なのだが、 いかんせん知力が低すぎて計略もあまり役に立たないのがネック。 呉軍の1.5コストは他に優秀な武将も多いので選ばれにくい。 ライバルは槍兵だけでもC董襲・R孫尚香・UC黄蓋と強敵揃いである。 しかしそれら呉の1.5コスト槍兵の中では唯一の地属性である。 少しでも多くの地属性が必要なデッキであれば選ばれることもあるだろう。 知力が2しかないため、計略の効果時間は僅かに5.5C。 効果終了時に撤退するというペナルティがあることを思うと少々使いづらい時間であるが、 知力依存度は1であり、知略昇陣の中で使えば効果時間は8.5Cにもなる。 呉の知略昇陣は地属性であるし、このC陳武との相性はなかなか良いと思われる。 呉-029 UC程普 武将名 ていふ とくぼう なし 程普 -徳謀- 孫家三代に仕えた宿将。呉軍の中では最年長の将軍で、敬意を表して「程公」と呼ばれた。赤壁の大戦では、副都督として周瑜と共に指揮を取った。はじめ周瑜の下に置かれたことが不満であったが、周瑜の戦略に感銘して、以後お互いに信頼を深めたという。「行けい!今こそここで曹操の首を取るのだ!」 コスト 1.5 属性 人 兵種 弓兵 能力 武力5 知力6 特技 防柵 計略 遠弓戦法 自身の武力と射程距離が上がる。 必要士気4 Illustration ファントム 前作と比べ知力が+1された呉の宿将。 AC版のVer1の頃と同じスペックに戻ったわけであるが、 当時とは比べ物にならないほど低い使用率となってしまっているようだ。 一番の理由は英傑号令まで持っている優秀すぎるR孫権の存在だろう。 二番の理由はR丁奉などが持つ遠弓麻痺矢戦法の射程が遠弓戦法と同じにまで強化されたことだろう。 三番の理由はUC程普と全く同じスペックで優秀な範囲のダメ計を持つDS陸遜が大戦・天に存在することだろう。 決してUC程普やその計略が下方修正を受けたりしたわけではないのだが、 これだけ理由があれば使用率が低めなのも無理はないことである。 遠弓戦法はこのUC程普だけが持つ専用計略で、消費士気が4である割に武力が5上がる。 R呂蒙の奥義「遠弓撃陣」よりも長く射程が延びる上、効果時間も8カウントと長め。 移動力の低い相手には、先打ちで十分に消耗させることが可能。 使ってみてわかる意外な強さ。決して弱いわけではないのだ。 呉-030 R丁奉 武将名 ていほう しょうえん 叩き上げの豪将 丁奉 -承淵- 若い頃から甘寧、陸遜、潘璋といった才能の下で腕を磨いた。また、赤壁、荊州攻略、夷陵といった肝心の戦場には必ず参戦し、多くの武勲を重ねる。孫権の死につけ込んで魏が侵攻してきた際には、十万の敵をわずか三千の兵で敗走させた。「将軍として、無様な戦は見せられん!」 コスト 2.0 属性 地 兵種 弓兵 能力 武力7 知力7 特技 防柵 計略 遠弓麻痺矢戦法 自身の武力と射程距離が上がり、矢を当てている敵の移動速度が下がるようになる。 必要士気4 Illustration 戸橋ことみ 遠弓麻痺矢戦法が使いたいならこのR丁奉が第一候補か。 知力7なのでDS孫尚香やUC太史慈よりも効果時間が随分長く、10カウントほど。 相手のキーカードを遠くから狙い打ち逃がさず倒すことが出来たりし、戦略を崩すのに役立つ。 計略を使用すると武力9になるので舞姫を射落とすのにも一応使える。 呉の2コストには弓兵だけでもR丁奉を含めると5枚も存在する。ライバルが多いということだ。 素武力最高のUC甘寧、召喚のR太史慈、英傑号令のR陸遜、最強火計のR周瑜。 これらの強敵の中からR丁奉を選ぶ意義を見出すためには、 遠弓麻痺矢によって常に試合を自分の好きなようにコントロールできるだけの戦術眼が必要だろう。 R丁奉に限った話ではないが、麻痺矢系統を使うなら走射は使いこなせるようになっておきたい。 麻痺矢効果で敵の移動速度を下げるので、走射を利用して細かく距離を詰めたり離したりすることで、 敵を逃がしたり敵に乱戦されたりすることなく効果時間中ずっと矢を当て続けることが出来る。 走射の発動するタイミングなどは鍛錬の章の「弓兵練習」で練習しよう。 呉-031 C董襲 武将名 とうしゅう げんだい なし 董襲 -元代- 呉の将軍。勇猛果敢で忠義にあつい将で、黄祖との戦いでは、飛び交う矢の雨をかいくぐり、勝利を収めた。合肥の戦いで、逃げる孫権を守るべく、沈んでいく船に最後まで残り、戦死した。「ここで主君の命、死ぬまで守り通すが本望よ!」 コスト 1.5 属性 人 兵種 槍兵 能力 武力5 知力5 特技 防柵 計略 防護戦法 武力によるダメージを軽減する。 必要士気4 Illustration 池田宗隆 圧倒的な防御力を誇る計略「防護戦法」の持ち主。 防護戦法とは8Cもの間受けるダメージが4分の1になるという計略で、 ダメージを軽減するという点で共通しているSR甘寧の計略「河賊の粘り」と比べてもかなりの硬さ。 (河賊の粘りはダメージ60%カット、防護戦法はダメージ75%カット) ダメージを75%も減らすというのは、具体例を挙げると、 SR呂布の「天下無双」を発動から終了まで乱戦で耐え続けても受けるダメージは3割程度 SR呂布の「天下無双」の突撃を受けてもダメージは2割未満で、6回突撃されてやっと撤退する といった感じである。 防護戦法中の董襲を武力ダメージによって倒すことがどれほど難しいかがわかっていただけるだろう。 計略の説明文にもある通り、この計略で減少させることが出来るのは「武力によるダメージ」のみ。 落雷、火計、大水計、暗殺の毒などは武力によるダメージではないので減少しないし、 伏兵を踏んだ時のダメージや極滅業炎・ダメージ地形の中にいる時のダメージ、 また敵城に張り付いている時に少しずつ受けるダメージなども武力によるものではないので減少しない。 武力5知力5で防柵持ち、というのはなかなかに優秀なスペック。 長槍大流星デッキなどで防柵&人属性要員として活躍しているのをよく見かける。 (蜀には防柵持ちの人属性槍兵が存在しない) 硬さはピカイチだが、一騎打ちに弱いので注意。一騎打ちの確率も高めに設定されているようだ。 いくら防御力があっても一騎打ちに負ければ当然即撤退である。 ましてや粘りたい状況というのは相手が強化中であることがほとんどなので、不利になる事が多い。 武力5の勇猛無しなので一騎打ちだけは避けたいところ。 仕様として、2回一騎打ちが起こった後は一騎打ちが起きないので、安心して運用できる。 序盤に一騎打ちを消化しておけば、後半は安心して運用できる。 呉-032 C潘璋 武将名 はんしょう ぶんけい なし 潘璋 -文珪- 孫権配下の勇将。荊州攻略戦では、呂蒙の策に従い、関羽、関平の親子を捕らえた。その際、関羽の持つ青龍偃月刀を手に入れたが、後にこれが目印となり、夷陵の戦いで、関羽の息子・関興に斬られた。「関羽殿、世に響くこの名刀。俺が使わせて頂く!」 コスト 1.0 属性 人 兵種 槍兵 能力 武力3 知力5 特技 伏兵 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 Illustration 原友和 UC張紘という絶対的な壁がある限り、呉単での使用率は上がらないであろう可哀想な武将。 人属性・1コスト・槍兵・伏兵持ち、という点まではUC張紘と同じである。 この二人を比べてみるとC潘璋の方が武力が1つ高いが、 UC張紘はC潘璋よりも知力が3も高く伏兵ダメージもかなりのものであり、 UC張紘はC潘璋と違って一騎打ちが起きないため急に落とされる心配もなく、 そして何よりUC張紘は非常に役立つ「浄化の計」を持っているのである。 ただし少しでも多くの素武力と人属性を求める混色ワラワラデッキなどでは一定の評価もある。 UC甘寧やUC魯粛と同じく、混色デッキでの採用がメインとなっている様子。 呉-033 R陸抗 武将名 りくこう ようせつ なし 陸抗 -幼節- 陸遜の子。父が死去すると20歳の若さで配下の兵五千人を預る。功績を誇らず、部下にも信頼されていた。晋の将軍・羊祜とは敵ながら互いを認め合い、酒や薬を贈りあう仲であった。そのため、晋と呉の国境付近では平穏な日々が続いたという。「たとえ敵であろうとも、友となれるはずです」 コスト 1.5 属性 人 兵種 弓兵 能力 武力4 知力8 特技 なし 計略 小戦の指揮 範囲内の味方の武力が上がる。 必要士気3 Illustration 騎崎サブゼロ 「小戦の指揮」はACではこのR陸抗しか持っていないオリジナル計略であったが、 大戦・天では戦略の章の様々な敵専用武将達が所持してしまっている。 小戦の指揮は味方複数の武力を上げる計略でありながら、珍しく知力依存度が1と高い。 (英傑号令や全体強化のほとんどは知力依存度が0.5か0.6程度) 知力8の場合は効果時間が12Cにもなり、非常に優秀な範囲号令となっている。 僅か士気3の消費で範囲内の全員が勢力を問わず12Cも武力+2されるというのは、 士気3の計略としてはトップクラスの性能であることは間違いない。 しかしR陸抗が武力4知力8の無特技弓兵で、さらに呉軍の1.5コストであることが最大のネックとなっている。 呉の1.5コスト弓兵には武力4知力7で防柵と魅力を持ち英傑号令まで備えたR孫権がいるのだ。 しかもあちらは呉に嬉しい地属性、こちらは人属性である。 呉単デッキにおいてR陸抗の使用率が大変低いのはこの理由によるもの。 R陸抗を活かすデッキを考えるなら、 小戦の指揮が勢力を問わない号令である点と、R陸抗が人属性である点と、士気3で号令を打てる点を考慮し、 各国の優秀な人属性を集めた混色開幕精兵デッキが挙げられるだろうか。 開幕で高武力が精兵陣内で暴れまわり、士気が3つ溜まれば即小戦の指揮、といった感じ。 他にも一応使い道はあると思われるがおそらくどれも混色であろう。 呉-034 SR陸遜 武将名 りくそん はくげん なし 陸遜 -伯言- 呉の危機を救った、文武兼備の若き名軍師。劉備が関羽の敵討ちとして攻めてきた夷陵の戦いにおいて、大都督に抜擢された陸遜は、劉備軍を焼き払い、完膚なきまでに撃退した。さらには漁夫の利を狙ってきた魏軍をも撃退。以後も魏蜀に侵攻の隙を与えなかった。「窮地をしのげば、必ずや勝機が見えるのです」 コスト 2.0 属性 地 兵種 弓兵 能力 武力7 知力8 特技 なし 計略 孫武の大号令 【ため計略】(計略ボタンを押してから一定時間で発動する。この計略は反計されない)範囲内の呉の味方すべての武力が上がる。 必要士気6 Illustration okome 「孫武の大号令」は呉軍にしか効果のない溜め号令で、溜め時間も7Cと長めなのだが、 かわりに効果範囲が非常に広く、消費士気6で武力が7も上がるというかなり爆発力の高い号令となっている。 効果時間も10Cもあり、SR曹操の「覇者の求心」にすら匹敵する。 号令の効果があるのは溜めが完了した瞬間に範囲内にいる味方のみ。 溜めを開始した時に範囲内にいるかどうかは無関係なので注意。 溜め時間中にSR陸遜を倒されてしまうと消費した士気6をまるまる損してしまい、 戦列をボロボロに崩され壊滅状態にされてしまうことになるので、 溜め中に相手に倒されるかもしれない位置で溜め始めるのはお勧めできない。 だからといって自城に張り付いた位置で溜め始めては、 今度は逆に敵に逃げられてしまい、発動してから追いかけたところで敵城についてすぐ効果が切れてしまう。 どの程度のラインで溜め始めるかは相手のデッキ内容や撤退状況から的確に判断しなければならず、 孫武デッキを完全に使いこなすにはそれ相応の経験と戦術眼が求められる。 なおSR陸遜自身は弓兵なので溜め時間中でも弓で相手を攻撃してくれる。 ただし移動や向き変更は出来ないので弓で狙う相手の変更はできない。 呉-035 C淩操 武将名 りょうそう なし 淩操 孫策に使えた猛将。淩統の父。軍では、常に先鋒をつとめた勇敢な将であった。劉表配下の黄祖を攻めているときも、先鋒として戦ったが、黄祖の部下であった甘寧の矢をうけて戦死する。このことが原因で、後に息子の淩統と甘寧の間に確執が生まれた。「歴戦の将の武、刻みつけてくれよう!」 コスト 1.0 属性 地 兵種 騎兵 能力 武力3 知力3 特技 なし 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 Illustration 原友和 魏のUC楽進と性能を比べると首を傾げたくなるが、あれは騎兵の国のみに許されたスペックだと思うべし。 呉軍にとってみれば1コストの騎兵というだけで念願の1枚であり、 それが1コストとしては十分な武力を備えているのだから、非常に有用な武将となっている。 開幕に敵伏兵を処理したり、端攻めに使って敵を釣ったり、1コスト騎兵にはいろいろな使い方がある。 呉の陣略属性である地属性である点も嬉しい。 大戦・天ではDS小喬という1コスト騎兵が登場した。 知力と属性がC淩操と同じであるのに加え浄化の計と魅力を備えており優秀なのだが、 武力は2なのでまだまだC淩操を選ぶ理由はある。 いっそのことこの2枚の1コスト騎兵を両方入れてしまうのも面白いかもしれない。 他のデッキパーツにもよるが、きっと呉単デッキらしくない戦い方ができるだろう。 呉-036 UC淩統 武将名 りょうとう こうせき 江東の無頼者 淩統 -公績- 弱冠15歳で、父の骨を拾うために戦場を駆けた豪胆な人物。孫権に仕え、合肥の戦いでは張遼の猛襲から主君を守った。敵が退路の橋を崩しにかかると、孫権が無事に渡りきるまで奮闘。自身は川に飛び込むと、水中に潜って生き延びた。「死にたくなけりゃあ武器を捨てるんだな!」 コスト 2.0 属性 人 兵種 槍兵 能力 武力8 知力4 特技 勇猛 計略 孫呉の武 【ため計略】(計略ボタンを押してから一定時間で発動する。この計略は反計されない)自身の武力が上がる。 必要士気3 Illustration 三好載克 計略はともかくとして、純粋にスペックが高い2コスト槍兵。UCなので出やすいのも利点。 手に入りやすい上にシンプルで扱いが簡単な武将なので初心者にはぜひオススメしたい。 高武力の槍兵はいるだけで大きな圧力となる。 R周泰と2コスト槍兵の座を奪い合うことになる。 UC凌統の方が素武力が高いので、慣れていない間はUC凌統を選んでおけばいいだろう。 地属性が欲しくなったり、デッキに爆発力を持たせたくなったりした時にはR周泰に換えるといい。 計略の「孫呉の武」は知力4だと7カウントほどの効果時間である。 消費士気3のわりに武力が+5されるので、 試合終盤等どうしても攻城を奪いたい時に英傑号令と重ねればむりやり攻城を奪えるかもしれない。 なお「孫呉の武」は知力依存度が1.2(1.25か?)と少し高め。 とはいえ超絶強化計略ではないので推挙するほどの価値はないかもしれない。 呉-2 << >> 呉-4
https://w.atwiki.jp/wanisita/pages/254.html
問題 表示文字 解答 補足 187年に長沙で反乱を起こすも孫堅に鎮圧されました 区星 おうせい 188年に黄巾党の残党をまとめ白波賊を組織しました 郭太 かくたい 207年に曹操の討伐を受けた北方民族 烏桓 うがん 216年に魏王を名乗った中国・三国時代の武将 曹操 そうそう 225年の南征で多大な功績を挙げた蜀の武将です 李恢 りかい 265年に魏の元帝の禅譲を受け西晋を建国しました 司馬炎 しばえん 「官渡の戦い」で曹操に敗れた後漢末期の武将 袁紹 えんしょう 「魏の五将軍」の1人にも数えられる勇猛果敢な武将です 于禁 うきん 「九品官人法」を制定した魏の重臣です 陳羣 ちんぐん 『恋する三国志』という著書もある、歴史好きのアイドルです 小日向えり こひなたえり 「黄巾の乱」鎮圧に尽力した後漢の大将軍 何進 かしん 「三国志」を題材とした漫画『蒼天航路』の原作者です 李學仁 イハギン 「三国志演義」で、諸葛亮の火計で夏候惇らが大敗しました 博望坡 はくぼうは 「三国志演義」に登場する鳥戈国の王です 兀突骨 ごつとつこつ 『三国志演義』序盤の有名なシーンです 桃園の誓い とうえんのちかい 『三国志演義』で、董卓と呂布が争った絶世の美女 貂蝉 ちょうせん 『三国志演義』で関羽の片腕として活躍した武将です 周倉 しゅうそう 『三国志演義』で姜維を救うため魏軍に突撃し戦死した武将です 張嶷 ちょうぎょく 『三国志演義』では、馬超に左手を切り落とされてしまいます 韓遂 かんすい 『三国志演義』では張飛が、『水滸伝』では林中が愛用します 蛇矛 だぼう じゃぼう 『三国志演義』で呂布が用いたとされる武器です 方天画戟 ほうてんがげき 『三国志演義』に登場する孟獲配下・三洞元帥の1人です 董荼那 とうとな 『三国志』でおなじみの英雄・曹操の父親です 曹嵩 そうすう 『三国志』に登場する曹丕、曹植らの母親です 卞 べん 『三国志』に登場する劉備の義兄弟のひとりです 張飛 ちょうひ 『三国志』に由来する、手柄を立てる機会がないことを嘆く言葉 髀肉の嘆 ひにくのたん 『三国志』の故事に由来する愚かで進歩のない人を指す言葉 呉下の阿蒙 ごかのあもう 『三国志』を題材としたライトノベルでも有名な女流作家です 朝香祥 あさかしょう 『三国志』を題材にした漫画『蒼天航路』を描いた漫画家 王欣太 きんぐごんた 『三国志演義』で、関羽の死後に青龍偃月刀を使用した武将です 潘璋 はんしょう 『三国志演義』で、徐庶が劉備の配下だった頃に名乗っていた名前 単福 ぜんふく 『三国志演義』では「江東の小覇王」と呼ばれました 孫策 そんさく 『三国志演義』では劉備、関羽、張飛がここで呂布と闘いました 虎牢関 ころうかん 『三国志演義』において曹操が愛用していた剣 倚天の剣 いてんのつるぎ いてんのけん 『三国志演義』における「蜀の五虎大将軍」のひとり 趙雲 ちょううん 『三国志演義』にも登場する諸葛亮の息子です 諸葛瞻 しょかつせん 『三国志演義』に登場する南蛮の猛獣使い 木鹿大王 ぼくろくだいおう 『三国志演義』を題材とした漫画『龍狼伝』の作者です 山原義人 やまはらよしと 「将軍直属の配下」を意味する言葉です 麾下 きか 『諸葛孔明 時の地平線』などの歴史漫画で知られる女流漫画家 諏訪緑 すわみどり 「桃園の誓い」が行われたとされる、劉備の出身地です 楼桑村 ろうそんそん 「ろうそうそん」が正解? 「登竜門」という言葉の由来となった中国・後漢の政治家です 李膺 りよう 「破竹の勢い」の由来にもなった中国・三国時代末期の晋の武将 杜預 とよ 『レッドクリフ』のノベライズを担当した女流ミステリ作家です 高里椎奈 たかさとしいな FENCE OF DEFENSEが歌ったアニメ『横山光輝三国志』のOP 時の河 ときのかわ 兄・孫策に似て勇敢だったと伝えられる、孫堅の三男です 孫翊 そんよく 兄の孫策・孫堅・孫翊と比べ影が薄い、孫堅の四男です 孫匡 そんきょう 各地で、数多くの英雄が覇を競っている状態です 群雄割拠 ぐんゆうかっきょ 各地の関帝廟で関羽とともに祀られている架空の人物 周倉 しゅうそう 賈侯渠とも呼ばれる大運河を築いたことでも知られる魏の政治家です 賈逵 かき 関羽の元では主簿を務めた三国時代・蜀の武将です 廖化 りょうか 官渡の戦いで曹操軍に敗れた中国・後漢王朝末期の大将軍 袁紹 えんしょう 関羽を生け捕る際に活躍した中国・三国時代の呉の武将 潘璋 はんしょう 魏によって滅ぼされた王朝です 後漢 ごかん 魏の郭淮に討伐された中国・三国時代の羌族の長です 蛾遮塞 がしゃさい 去勢された官吏のことです 宦官 かんがん 経験の浅い若者を冷やかすために使う言葉です 青二才 あおにさい ゲーム『三国志大戦3』の1人プレイ専用のモード 英傑伝 えいけつでん 献帝のために力を尽くすも病に倒れた後漢末期の将軍です 朱儁 しゅしゅん 洪水を防ぐために必要です 治水 ちすい 皇帝が使用する印章のことです 玉璽 ぎょくじ 後漢末期に、洛陽から長安へ強引に遷都させた首謀者 董卓 とうたく 後漢では曹操が、蜀では諸葛亮が務めた古代中国の官職です 丞相 じょうしょう 後漢王朝の末期に董卓が就任していた役職 相国 しょうこく 古代中国では郡を治める長官のことです 太守 たいしゅ 古来から使われている中国の土地の面積の単位 畝 ほ 三国志でおなじみの武将・関羽が戦死したのは「○○の戦い」? 樊城 はんじょう 三国時代の蜀の領内に多く存在した断崖絶壁を通るための狭い道 桟道 さんどう 司馬師の専横に反旗を翻した魏の武将 毌丘倹 かんきゅうけん 司馬懿、司馬昭の元で活躍した中国・三国時代の武将です 王昶 おうちょう 自慢の美しい妻を曹丕に奪われてしまったエピソードで有名です 袁煕 えんき 諸葛亮亡き後の蜀を支えた中国・三国時代の名将です 姜維 きょうい 小説『三国志演義』で夏候惇の死期を予言した方士 管輅 かんろ 小説『三国志演義』で関羽に討ち取られた黄巾族の武将 程遠志 ていえんし 小説『三国志演義』で、張飛の怒声に驚いて落馬した魏の武将 夏候傑 かこうけつ 小説『三国志演義』では「小覇王」と書かれた武将 孫策 そんさく 小説『三国志演義』に登場する長坂の戦いで趙雲に討たれた武将 淳于導 じゅんうどう 食料や武器などの軍需品の総称 輜重 しちょう 蜀の黄忠に討ち取られた中国・三国時代の魏の武将です 夏候淵 かこうえん 蜀の軍師・ほう統はこう呼ばれていました 鳳雛 ほうすう 蜀の軍師・諸葛亮はこう呼ばれていました 伏龍 ふくりゅう 蜀を攻略する際に活躍した中国・三国時代の魏の武将です 鍾会 しょうかい 水軍を率いて呉を滅ぼし三国時代を終わらせた晋の武将 王濬 おうしゅん 生前の行ないに基づいて死者に贈る称号 諡 おくりな 戦場で敵将を罵るときなどに使う言葉です 匹夫 ひっぷ 戦争の際、相手を陥れるために考案された戦術です 計略 けいりゃく 曹操が人々に評価されるきっかけを作った人物です 橋玄 きょうげん 曹操と戦うも敗れ、帰順した南匈奴の単于です 於夫羅 おふら 曹操の烏丸征伐に功績を残すも直後に死去した人物です 郭嘉 かくか 曹操、曹丕の元で活躍した中国・三国時代の武将です 郭淮 かくわい 曹操のいとこにあたる中国・三国時代の武将 夏侯惇 かこうとん 曹操配下の武将を舌鋒鋭く批判した『三国志演義』の登場人物 禰衡 でいこう 孫権の元で活躍した、遊侠の徒あがりの猛将です 甘寧 かんねい 孫策・孫権に仕えた勇猛果敢な武将です 太史慈 たいしじ 孫邵の死後、呉の第二代丞相となった政治家です 顧雍 こよう 孫権の元で活躍した中国・三国時代の武将です 谷利 こくり 孫権の命で、甘露寺で劉備を暗殺しようとしました 賈華 かか 父・袁紹の死後、弟と名門・袁家の跡目を争った後漢末期の武将 袁譚 えんたん 父の後を継いで孫権に仕え山越の統治を任されました 太史享 たいしきょう 中国・後漢末期に張角らが組織した宗教結社 太平道 たいへいどう 中国・三国時代の三国の1つ、呉の最後の皇帝です 孫皓 そんこう 中国・三国時代の三国の1つ、蜀の最後の皇帝です 劉禅 りゅうぜん 中国・三国時代の三国の1つ、魏の第三代皇帝です 曹芳 そうほう 中国・三国時代の三国の1つ、魏の第四代皇帝です 曹髦 そうぼう 中国・三国時代の三国の1つ、魏の第二代皇帝です 曹叡 そうえい 中国・三国時代の一国です 呉 ご 中国の三国時代に、蜀の味方をしたと伝えられる南蛮の王 沙摩柯 しゃまか さまか 中国の三国時代に、屯田制の普及を推進した魏の政治家 棗祗 そうし 中国の三国時代に、滅亡寸前の蜀を救うため力を尽くしました 霍弋 かくよく 中原の混乱に乗じ、たびたび反乱を起こしたチベット系民族です 羌 きょう 中国・後漢末期の農民反乱「黄巾の乱」の首謀者です 張角 ちょうかく 中国・後漢末期の武将・袁紹、袁術らの出身地です 汝南 じょなん 中国・三国時代に曹操軍の主力となった、黄巾賊出身の兵士 青州兵 せいしゅうへい 中国・三国時代に劉備が名乗りました 漢中王 かんちゅうおう 中国・三国時代の呉の初代皇帝・孫権の三男 孫和 そんか 中国・三国時代の呉の初代皇帝・孫権の長男 孫登 そんとう 中国・三国時代の一国です 蜀 しょく 中国・三国時代の武将・関羽を商売繁盛の神として祭ったほこら 関帝廟 かんていびょう 中国・三国時代の末期に活躍した「竹林の七賢」の1人です 王戎 おうじゅう 中国・三国時代の末期に活躍した「竹林の七賢」の1人です 向秀 しょうしゅう 中国・三国時代の蜀の軍師諸葛亮の字(あざな)は? 孔明 こうめい 中国・三国時代の蜀の丞相諸葛亮が書いた名文 出師の表 すいしのひょう 中国の三国時代に蜀を破滅へと導いた宦官です 黄皓 こうこう 中国の三国時代に、蜀で劉備の在位中に使われた元号です 章武 しょうぶ 中国の三国時代に、魏で曹丕の在位中に使われた元号です 黄初 こうしょ 中国の三国時代に呉の孫権に仕えた軍師のひとり 諸葛瑾 しょかつきん 中国の三国時代に魏と蜀が争奪戦を繰り広げました 漢中 かんちゅう 中国の三国時代のように三者が互いに対立する状態です 鼎立 ていりつ 陳寿の書いた歴史書『三国志』に数々の注釈を付けた人物 裴松之 はいしょうし 敵に奇襲をかけるため姿を隠した軍勢のことです 伏兵 ふくへい 虎のような鬚を持つことにちなむ曹操の息子・曹彰の異名です 黄鬚児 こうしゅじ 配下の者が君主に対して真心をもってつくすこと 忠誠 ちゅうせい 白馬の戦い・官渡の戦いなどで活躍した、曹操配下の名軍師です 荀攸 じゅんゆう 発石車という兵器を発明した『三国志演義』に登場する武将 劉曄 りゅうよう 早くから劉備の参謀として活躍した政治家です 孫乾 そんけん 兵士に耕地を開墾させ、有事の際以外は農業に従事させる制度 屯田 とんでん 娘を三国時代の名軍師・諸葛亮に嫁がせました 黄承彦 こうしょうげん 名軍師・司馬懿を兄に持つ中国・三国時代の政治家です 司馬孚 しばふ 名軍師・郭嘉を父に持つ、中国の三国時代、魏に仕えた政治家です 郭奕 かくえき モンゴル高原を支配し、後漢や魏の脅威となった遊牧民族です 鮮卑 せんぴ 劉備にとってはパトロン的な存在でした 麋竺 びじく 劉備亡き後、隆禅に仕え蜀を支えた中国・三国時代の政治家 郭攸之 かくゆうし 呂布とともに董卓を裏切り謀殺した、中国・三国時代の人物 王允 おういん 臨終の諸葛亮に策を与えられ魏延を討った蜀の武将です 馬岱 ばたい 牢などに閉じ込めることです 幽閉 ゆうへい